天気の子、観てきました。
いまでも人々の記憶に鮮明に刻まれており、影響力があまりにも絶大だった作品「君の名は。」の新海誠の最新作である。
TVCMでも天気の子を観ることが増え、期待に期待を重ねられたこの作品。
作品としての良い点、悪い点、新海誠は天気の子で何を伝えかったのか。
本記事ではこれらの点を分析、考察していく。
※ネタバレを含みます。また考察内容は個人の感想・見解です。
全体的な感想
根幹であるストーリーに関しては、一言でいうと、粗が目立ちすぎて感情移入しづらい。
また、新海誠が観客に媚びないラストを描いたことによって、「君のは。」を観たあとのような爽快感は少なく、鑑賞直後の感情は「なんだったんだ?」になりがち。
映像、音楽、小ネタ、といった要素については、「君の名は。」からさらにレベルアップしており、文句なしの120点。現代最強のアニメといって差し支えないだろう。
ストーリーの粗
これはSF的な作品を語るうえでよく言うことなのだが、フィクションを面白くする最大のポイントは、
大前提となる設定以外はとにかく現実的にすること
これに尽きる。
天気の子でいえば、陽菜が100%晴れ女であるという点。
ここだけは理由などなくてもよいのだが、それ以外は徹底的に現実的に、前提があると仮定すれば起こりそうな設定にすること、それが物語の納得感につながる。
今回かなり設定に変なところが多くて気になってしまう。いくつか以下にあげると、
- 穂高が東京に来た理由がわからなすぎる
- 陽菜と凪の生活が成り立っている謎。親が死んだときに引き取られたりせんのか?
- いまどきマックに年齢詐称はバレるやろ
- 銃があった必然性って何?
- あの鳥居がつながっているのはなぜ?
- 空は海より深いんじゃ。←深くねぇわ!
いろいろと気になる点が多い。
必然性のわからないような点は何かをメタファってるからかもしれないけど、設定が行き届いていない点がすごく多いので、単純にサボってるようにもみえる。
警察をリーゼントにしている点などから、さぼっているというよりあえて「物語にリアルさは求めない」という主張ともとれる。
しかし、そうだとしたらその方針はやめた方がいいと思う。
圧倒的なプロダクトプレイスメント
天気の子を語るうえで外せないポイントがプロダクトプレイスメントである。
※プロダクトプレイスメント:劇中に実在する企業などを登場させる広告手法のこと。wiki
君の名はでもプロダクトプレイスメントがかなり使われていた印象があったが、天気の子ではその量が尋常じゃない。
今まではアニメでは実際の会社名を少しモジった看板等が街並みに描かれるのが常識で、たまに実在の会社名が出てくるとびっくりするイメージだったが、
むしろ天気の子では、おそらく劇中に出てくるもの全てが実在するものだったのではないだろうか。
最も印象的なのは、「バーニラバニラ高収入~」の宣伝トラック。
ストーリー上の必然性は全くないが、あれほどモロ広告のものをアニメの中で広告してしまうというのを見たことがなかったので、いささか衝撃的だった。
しかし、このバニラのやつも含めて、本当にリアルな現代の「ザ・東京」をひたすらに描いていて、それが天気の子の面白いところでもあり、逆にそこを眺めてしまうゆえにストーリーに集中しづらいとすら思う。
今回は舞台が東京だけなこともあり、とにかく東京を描きまくっている。
新宿だけでなく、池袋、代々木、田端などなど…
東京や、電車への愛を感じた。
東京ってこえ~
序盤は穂高が東京に来て、この東京砂漠を痛烈に感じていくところがストーリーのメインでもある。
穂高が東京を感じると発する言葉が「東京ってこえ~」である。
イベント → 「東京ってこえ~」
を何回か繰り返していく演出は面白い。
またこの流れで東京の怖い小学生として登場する、陽菜の弟、凪がいい味を出している。
最初は女をハベらせているシーンで登場してウザい雰囲気を出し、自然とだんだん愛着がわいてくるようにできている。
だいたいのひとは途中から凪のことが好きになっているんじゃないか?
ずっと穂高が凪のことを「先輩」って呼んでるのはちょっとシリアスさに欠けるけど。。
「君の名は。」のキャラ出すぎ問題
天気の子の劇中には「君の名は。」のキャラがやたらと出てくる。
最初はキャラデザが似てるだけの別人かと思ったが、普通に同一人物で、ガッツリしゃべってくる。
正直、あれは出しすぎだと思う。
よく見たら気づく程度の遊びとして入れるならいいと思うが、あれだけ大々的に出してしまうと、「監督、まだ味しがんでんの?」とツッコミを入れたくなった。
あの出し方は普通に考えてストーリーの邪魔になるレベル。
ファンが、「君の名は。」と比較してどうのこうの言ってくることは明白だが、それに対して新海誠は、君の名はを意識してないフリをするのがダサくて嫌だったから、逆に堂々とキャラを出してしまうことで「おら、お前らこれで満足か?ww」というアピールをしているのかもしれない。
これも新海誠の心の叫びポイントの一つなのか。
ラストから考える、新海誠の意思
穂高は陽菜を取り戻し、東京は永遠の雨となる。
主人公にとってはハッピーエンドで、世界はバッドエンド。
世界の形を変えてしまった彼らは、それでもいいと言う。
エンド後の描写が思ったより少なかったのは、意図的なんだろうな。
「君の名は。」では少ししつこいくらい、いわゆるエンド後の描写があって、鑑賞後に残る気持ち悪さを徹底的に排除していた。
この結果をまず表面的にとらえると、世界がどうなろうとどうでもいい、自分の好きなことが大事なんやということだ。
前作で完全に世間受けを意識した映画を作って、大成功。
一気に作品を日本中から期待される立場になってしまった新海誠の心の叫びとしてとらえると、
世間受けとか二の次で、俺は作りたいものを作っていくんだからな
という意思表明ととれる。
観客にとって気持ちいい終わり方だけを意識して作るなら、世界と主人公、双方がハッピーエンドになるようにすればいいからね。
日本中から注目される存在になった新海誠は、ここで一発媚びない意思表明をしておきたかったのかな。
クリエイターとしての意地みたいなものか。
意思表明だけでなく、視聴者へのメッセージだとすれば、みんな世間の目とか気にせずに好きにやれよ、好きなことで、生きていけよってことか。
これも非常に現代的だよな。
2019年という時代を表している感あるね。
現実世界とのリンク
ところで、今年の7月の日本は異常なほど雨が続いている。
気温もやたらと低い。
7月までこんなに雨が続いたことってあるか?
さすがに7月も中旬にもなれば、いつもなら刺すような暑さになっているはずだ。
天気の子がこの異常気象を呼び込んだのではないかと思わされるようなリンクっぷり。
まじでずっと雨ふってたらダルいよな。
まとめ
天気の子は、基本は新海誠の壮大な自己中作品で、やりたいことをやるという表明。
しかし、広告をふんだんに取り入れたり、前作のキャラを出しまくったりと、世間へのすり寄りや遊び心も、ちゃっかりしっかり入れてきているという印象。
設定の雑さと、ラストの腑に落ちない感じによって、「君の名は」と比べると観終わったときの爽快感はないが、
基本的にクオリティがめちゃめちゃ高いのでしっかりと楽しめる。これが率直な感想です。
以上。