アローラ。
みなさん洗濯物はお嫌いだろうか。
俺は洗濯物が大嫌いだ。
掃除、炊飯、食器洗い、家事にもいくつかの種類があるが、
やはり俺はその中でも洗濯物がダントツで嫌いだ。
今日は俺が洗濯物が嫌いな理由を本気で解説していこうと思う。
俺が洗濯物が嫌いな理由
理由その1 決断と行動の距離
洗濯物が嫌いな理由の1つ目は、「決断と行動の距離が遠いこと」である。
どういうことか。
みなさん、「さて、そろそろ洗濯しなきゃ」と思い立ったときにまず何をするだろうか。
そう、洗濯機を回すのだ。
この「洗濯機を回す」という行為は、洗剤を入れてボタンを押すだけなので2秒で終わる。
しかしだ、洗濯物の面倒なところは「洗濯機を回す」行為ではない。
面倒な作業は洗濯機が止まったあとに待っているのだ。
そう、洗濯物と言いつつも、全自動洗濯機があたりまえの現代において、洗濯物の面倒な作業とは「洗う」作業ではなく「干す」行為だ。
しかし、干す作業は洗濯機を回し始めてからおよそ30分経過したのちにやってくる。
30分も経過したら、当初の「洗濯するぜぃ!」というやる気はとっくに失われている。
またこの30分という時間がいやらしい。
10分や15分程度なら、ぼーっと待つにも待っていられる時間でもあるし、待ち時間に何か別の作業を挟むとしてもガッツリ腰を据えた作業まではできず、洗濯物の記憶も鮮明に保てる。
しかし30分となると、さすがにただ待っていることはできない。
だいたい別の作業に入ってしまい、洗濯機の作業が完了したころには、自分が洗濯していたことなんか頭からすっ飛んでいる。
こうなると数時間後(あるいはひどいときは次の日の朝になって)洗ったまま放置していたことに気づく。
このときの絶望感たるや、えげつない。
こうして、俺はまた洗濯物が嫌いになっていくのだ。
理由その2 成果物が何もない
洗濯物をして何が得られる?
明日履くパンツが得られるだけだ。
そこに真新しい何かはない。新品の時よりも少しだけ劣化した衣類が返ってくる。ただそれだけだ。
料理であれば、自分なりの工夫を施し、頑張ればそれだけ良い成果物が得られる。
失敗しても、そこには今までにない出会いがあるかもしれない。
それが洗濯物にはないのだ。
結論
理由その2は、ぶっちゃけ掃除や食器洗いなどにも同じことが言える。
しかし理由その1に関していえば、洗濯物が独自に持つ圧倒的な悪である。純粋悪だ。
だから俺は洗濯物が嫌いだ。
あ、乾燥機付き洗濯機かえばいいのか。。
おわり。