どーもこんにちは。
たまに会話に出てくる、だれかが「ぼくは絶対に浮気しません」とか言ったのに対して発せられる言葉
でも石原さとみに告白されたら付き合うよな?
っていうやつ。
今日はこれについてガチで考察していきます。
この表現方法って要するに、
抽象的な概念をわかりやすく表現するために、あえて具体的な固有名詞を抽象に昇華させて使用する
っていうやつなんだよね。
つまり、
ここでいう石原さとみは、クソほど圧倒的にかわいい女性という抽象的な概念を表現しているだけで、
実際にはそれが石原さとみである必然性は一切ない。
にもかかわらず、こういうときに「俺、石原さとみタイプじゃないし。」とか言ってくるやつはゴミです。
会話の流れとして、それが抽象的な概念を表現していることはわかるので、
たとえ石原さとみがタイプじゃなかったとしても、自分が一番かわいいと思う女性に移し替えて考えるべきです。
ただし、抽象として使われた具体的な例が、その抽象的な概念を代表するものとして成り立たないほどに例が悪いときは、例を出した側が悪いこともあるにはある。
たとえば、明石家さんまさんが「躍る!さんま御殿」などで、かわいい女性の抽象的な概念としてよく剛力彩芽を使っているが、正直違和感が半端ない。
長澤まさみも使うときあるけど、こっちは大丈夫。(何様感)
ここ最近で、かわいい女性という概念を代表できる器があるのは
個人的にはやはり石原さとみ一択な気がしているんだが、どうだろう。(特別タイプというわけではないです。客観的にね)
あとは新垣結衣か。新垣結衣の方がいまは時代の寵児感は強い。
ただし、彼女の欠点としては、こういう表現で使うときはフルネームでどーん!っていう使い方が一番それ感が出て良いんだけど、
新垣結衣っていうよりガッキーというイメージが先行してしまっているため、どっちで言おうか迷ってしまう。
いや、申し訳ない。もっとまさに今、時代の寵児感のある人を忘れていた。
橋本環奈だ。
最近はもっぱら橋本環奈がカワイイ女性の代名詞として使われている。
だれが言ってたか忘れたけど、
ある人が、自分の好きなタイプを紹介しますと言って、
「家庭的で、ゲームとか一緒に楽しめて、でも余計な口出しとかはしてこない、 橋本環奈。」
みたいなこと言っていてわらったw
あとは昔からいて、かわいい女性の概念として今でも表現されるのは、松田聖子とか吉永小百合とかですかね。すごいです。
男性側も、実はまた面白い。
まず、圧倒的に概念として昇華しきっている存在が、キムタク。
キムタクの場合は、カッコイイ男性の象徴であるのはもちろんだが、なんならそれすらも超えてキムタクという概念になってしまっているのがヤバい。
キムタクが如くとかいうゲームが出てしまうほどだからなw
でも冒頭の例のように、「でもキムタクに告白されたら付き合うよな?」にはあまり使われないかもしれないw
キムタクはやはりカッコイイとかじゃなくてキムタク力(キムタクりょく)が強すぎて逆に論点ぶれる感ある。
そういう意味では岡田准一くらいの方が例としてはちょうどいいかもしれない。
あとは竹野内豊なんかも非常に概念に昇華してる感ある。
でも女性が会話でこのパターン使う場合は、誰かが例を出したあとに「いや、私タイプじゃないんですけど」って言い始めて、そこから誰がカッコイイかについて語り始めて盛り上がるっていうルートが逆に正規ルートなんじゃないかという説がある。(女性は目的とかじゃなくて寄り道こそが本筋である理論)
男性の場合は、まともな人間なら抽象的な概念の意味で使ってるって理解してくれるけど、
女性はむしろ普通に「その人タイプじゃない」とか抜かしてくる方が多数派のような気がしている。
自分自身が男性だから、例がうまく出しづらいというのもあるとは思うけど。
女性⇒男性 の方が 男性⇒女性 よりも、特定の人が誰がどうみてもカッコイイ/かわいい ってなりにくいという要因もあるかな。タイプの分散が女性の方が大きい的な。
まぁそういう問題じゃなくて「三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」とか出したら普通に納得してくれたりする可能性も否定できないがw
知らんけど笑
石原さとみ的な立ち位置でいくと、妻夫木聡とか瑛太とかで納得してほしい感はあるな。
はい。
抽象的な概念をわかりやすく表現するために、あえて具体的な固有名詞を抽象に昇華させて使用する
この表現方法は、かわいい女性とかカッコイイ男性とかだけじゃないんだけど、
今日はこれくらいにしておきます。
ではでは。