思考 雑記の類

読書感想文不要論が間違っていたので本気で指摘してみた

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読書感想文不要論がTwitterで話題になった。

なにやら、国語教師らしき人物が読書感想文不要論を説いたことが発端らしい。

 

この話題が気になったので内容を見てみたが、正直に言って甚だおかしい内容だったので、本記事では読書感想文不要論の誤りを本気で指摘していこうと思う



読書感想文不要論が間違っていたので本気で指摘してみた

読書感想文不要論の内容

投稿者の論はこうだ。

  • 読書は知りたいから、自分が好きだから読むものであり、強制されるべきものではない
  • 読書感想文を書かせることによって、読書が憂鬱になる、日本人の読書嫌いと作文嫌いを助長している
  • 原稿用紙はこう使いなさい、作文はこう書きなさい、という形式的指導のせいで、堅苦しい、つまらないものになっている

なるほど、一見するとそれらしい意見にも思えるが、よくよく考えると全く持って的外れである。

読書感想文不要論に対する私の意見

結論から言うと、読書感想文そのものは必要だと思う。

しかし、その形式だったり指導の方法には確かに問題はある。

 

これから読書感想文不要論の理由それぞれについて反論をしていくこととする。



第一の理由に対する反論

まず第一の理由に関して

読書は知りたいから、自分が好きだから読むものであり、強制されるべきものではない

 

そうか??

本は必ずしも好きだから読むべきものではない

大学生や大人になれば、研究のため、勉強のため、調査のため、など何か得たい知識があって本を読むことが多い。

これは単純に好きだから、というのとは異なる。

 

そしてこういった機会に、「長い本を読む」という根本的な能力は少なからず役に立つであろう。

ちなみに、国語の授業では基本的に抜粋の短い文章しか取り扱わないため、小学校において長い本や長い文章を読む力をつける機会は読書感想文くらいしかないのである。

 

もちろん、読書感想文で読むような本と、知識を得るために読む本の種類は異なるのが普通だろう。しかし、とにかく長い文章を読むことに慣れているという事実が、地味に効いてきている可能性は否定できない。

 

また、「好きだからやるべきであって、強制されるべきではない」というのは、言い始めたら読書に限ったことではなくなってしまう屁理屈レベルの言い分だとも思う。

たとえば体育だったり音楽、図工などが特にわかりやすいだろうか。

 

「スポーツは好きだからやるべきであって、強制されるべきではない」

「歌は好きだからやるべきであって、強制されるべきではない」

 

このように言い換えても、ぱっとみ正しそうにみえるし、言っていることは変わらない。

つまり、そんなこと言い出したらなんでもそうだろ、ということになってしまうので基本的に成り立つような理論ではない。

 

そもそも好きとか関係なく強制するのが義務教育だから。

 

 

まぁでも、特に歌とか音楽はプライベートでは比較的好きだけど音楽の授業でやるのは嫌いだった記憶はあるw

ただしそれでプライベートでの音楽まで嫌いになることはなかったから、やはり読書も読書自体が嫌いなやつは感想文とか関係なく元々嫌いなんだと思う。

 



第二の理由に対する反論

次に第二の理由について

読書感想文を書かせることによって、読書が憂鬱になる、日本人の読書嫌いと作文嫌いを助長している

いや、読書感想文によって読書嫌いを助長しているわけではないと思う。

第一の理由でも少し触れたが、読書が嫌いなやつは最初から嫌いだし、そういうくだらん奴はずっと読書嫌いじゃないだろうか?

 

逆にいうと、読書好きな人がみんな読書感想文好きだったかといえば、どう考えてもそんなはずはなく、単に宿題として文章を書くのが面倒なだけだ。

 

まさに読書感想文のようなものを大人になって自らブログとして書いている自分でさえ、夏休みの宿題として書く読書感想文はまぁどちらかといえば嫌いだったし面倒だった。

 

 

他の視点でも考えてみよう。

たとえばこれが読書感想文ではなく、映画感想文であったらどうだろうか?

 

やはり読書感想文で憂鬱になる奴の大半は、映画感想文だったとしてもその宿題は嫌いだろう。

しかし、だからといって映画そのものを嫌いになることはさすがにない。

 

別に作品が面白ければ観るし、いちいち感想文なんて書かない。ただそれだけの話だ。

 

第三の理由に対する反論

第三の理由について、

原稿用紙はこう使いなさい、作文はこう書きなさい、という形式的指導のせいで、堅苦しい、つまらないものになっている

これに関しては、むしろもっと教えて欲しかったとすら思う。

 

原稿用紙の使い方くらいは、どこかの機会で教えられたような気もするが、「読書感想文をどういう構成で書くべきか」というような方法論については学校でまともに教えられた記憶がない。

 

「形式的指導のせいで、堅苦しい、つまらないものになっている」からやる気がしない、つまらないと思うのではなく、逆に読書感想文書けと言われても「どう書けばいいかわからない」ことがやる気を失わせているのではないだろうか。

 

読書感想文の書き方の手順は次のような感じのイメージなのだが、(これが本当にあっているのかは知らない)

  • まず一通り読む
  • 読みはじめたきっかけや背景を書く
  • 感想文の読者に伝えたいことが伝えられるように、本文のあらすじをX文字程度にまとめる
  • 感銘を受けたポイントをY点ほどピックアップし、それぞれZ文字程度で深堀していく。
  • 全体を通して学んだことをまとめる

 

こういう手順を教えてくれて、授業のときに短いサンプルを使ってトライさせる機会があれば、取っ掛かり方がわかるようになる。

きちんと手順を覚えさせたうえで、夏休みの宿題でよい素材を渡せば、自然と取り組める人が多いだろうし、憂鬱にもならないだろう。

いきなり読書感想文書けと言われても途方に暮れてしまう。

 

以上のように、読書感想文不要論の3つの理由はすべておかしい。



読書感想文はなぜ必要か

読書感想文不要論がおかしいことは説明した。

では、読書感想文はなぜ必要なのか。

 

不要であることの裏返しのため、説明が既に出てきてはいるが、改めてまとめてみよう。

 

  • 長い文章、1冊のまとまった本という形での読解力を鍛える
  • 読解した内容をまとめてアウトプットする力を鍛える
  • 自分の意見や感想を考え、それをアウトプットする力を鍛える

必要な理由としてはこんなところだろう。



読書感想文不要論に対するロザンの意見

高学歴芸人のロザンが読書感想文不要論について語っていた。

内容としてはこうだ。

宇治原の意見

読書感想文が指導要領として存在するということは、それによって学ばせたいものがあるはず。読書感想文のデメリットもわからなくはないが、読書感想文をなくすならばそれに代わるものが必要になる。

管の意見

読書感想文自体に否定的ではないが、課題図書が小学生向けではないのは微妙。名著と呼ばれるものは当時の著者が売れるために世間の大人に向けて書いたものであり、小学生向けに書かれたものではないから、課題図書の選択はもう少し考えた方がよいのではないか。

 

ごもっともな意見だ。特に盲目的に名著を課題図書にしているというのは確かに一考の余地ありだと思った。

 



終わりに

読書感想文不要論への反論を書いてみたが、いかがだっただろうか。

何かご意見などありましたらコメントやTwitterでよろしくお願いします。

 

以上。



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